災害時の通信支援システム

災害に見舞われた時、まず始めに通信回線が絶たれる。
しかし、日本で発達した移動式情報通信技術装置(MDRU)は、
1時間後には災害時の通信を可能とする。

日本電信電話(NTT)は昨日、セブ北部の町サン・レミジオに
移動式情報通信技術装置(MDRU)を引き渡した。
これにより、電話通信ネットワークがダウンしている時でも、
被災地の人々は通話やインターネット接続が可能となる。

この装置を日本以外で設置するのは初のこと。

このプロジェクトは、フィリピン科学技術省と
中部ビサヤ情報共有ネットワーク財団(CVISNET)の提携によるもの。
CVISNETのチーフ・ディレクターであるジェフリー・N・ラント氏は、
プロジェクト費用は1千60万ペソ(約2千756万円)で、
日本総務省(MIC)により経済支援を受け、
国際電気通信連合(ITU)が管理・運営を行うと述べた。

NTT職員によると、その装置は1辺の長さ12フィート
(3.65メートル)の搬送容器の中に格納され、
内部には通信機器やサーバー、記憶装置が装備されている。

移動式情報通信技術装置(MDRU)は、日本で2011年3月に
発生した大地震と津波により、東日本での通信回線が断絶
されたことを機にうまれた。
今回、2013年11月の台風ヨランダによって被害を受けた
172の地方自治体の中から、もっとも被害を受けた地域である
サン・レミジオがテスト設置の地域として選ばれた。
サン・レミジオ地区長のマリアーノ・R・マルティネス氏は、
「サン・レミジオでは先の台風の3日後に通信回線が復旧したが、
それは部分的な復旧のみであった」と述べた。

 

<スタッフコメント>
太平洋の島国であり、台風大国でもあるフィリピン。
移動式情報通信技術装置(MDRU)により、災害時に被災地で情報収集ができ、
適切な避難行動をとることができる。
また、被災地から安否の発信ができるほか、被災地の状況を発信することにより、
的確な救出・救援措置を行うこともできる。
災害によって発達してきた日本の技術を国際的に役立てている事例である。

ラプラプ市、ダナオ市、カルカル市に明るい見通し

ラプラプ市、ダナオ市、カルカル市は、洪水や土砂崩れのリスク
のない広大な面積を持ち、将来の開発に良い地域であると研究
チームが明らかにした。
セブ内の76パーセントの地域が都市開発に適していないと、
日本国際協力機構(JICA)の研究チームは言う。

研究チームは、メトロ・セブ(セブ州の主要都市圏)内の13の
市と町について調査したとのこと。
「都市開発に適した地域、将来の都市化はラプラプ市、ダナオ市、
カルカル市であるべきと考えられる」と言及し、3市の名前を挙げた。

またJICAは「洪水は開発を制限することはない。なぜならば、
洪水は河川や水路の許容水量の拡大や浄化といったインフラ整備を
通じて予防することができる」とも言っている。

虹色の横断歩道

フィリピン国家警察の教戒師のアラン・コーテス氏は、
マンダウェ市スバンダク地区のハイウェイにある
カラフルな横断歩道を歩きました。


※SUNSTAR新聞より

これはフィリピン南部では初めての虹色の横断歩道で、
性同一障害の人々を援助していくことを示しています。

今回の発起人の一人であるスバンダク地区の地区長である
エニー・マナタッド氏は「私たちの政治は、性の問題に
ついて意識するべきだ」と言います。

この横断報道は、高架道路アートプロジェクトを立ち上げた
壁面アーティストのA.G.サーニョ氏のアイデアによるもので、
性差別があるということを市民により知ってもらうことが
狙いです。

Vacation time is leaning time

Evelyn R. Luabさんのコラムより

2月15日

私は娘と孫たちに会いにマニラに行くため、セブマクタン国際空港に来た。

あるポーターが私を見て“Lola”(gramdmotherの敬称)と呼んできた。

「フィリピン航空をご利用ですか?チケットを見せて下さい。私がお手伝いさせて頂きます。」

彼は私が苦労して歩いていたので気づいたようで、カートを運ぶのを手伝ってくれた。

そしてチェックインの際に彼は、ビジネスクラスのカウンターの方に向かって「ついて来て」といった。私はエコノミッククラスのチケットだったので拒んだところ「大丈夫です。シニアの方はこちらへ。長い列に待つ必要はありませんよ。」と言ってくれた。

彼は「ありがとう、気をつけてね、Lola!」と言って、手を振りながら搭乗するまで見届けてくれた。

少しの間だか会話を交わし、彼はミンダナオの大学の卒業生であることが分かった。彼の奥さんは来週セブに来るようだ。ミンダナオでは大学を卒業しても、仕事を見つけるのだ大変なようで、セブで仕事を探す決意をしたそうだ。そして、最近になりやっと金銭的にも安定してきて、ワンルームを借りた。「奥さんに一緒に生活しようと申し出てたんだ。仕事を探すのも手伝う。ここで私たちの生活が始まるんだ!」と彼は誇らしげに言った。

彼に今後の事を聞いたら、「まだ決めてないんだ。でも、僕たちは一緒になれる。2人で働けば何とかなるさ。2人になることでより強くなることができるからね。」と恥ずかしそうに答えた。

私は彼らの愛の強さに感動した。なんて美しい人生観なんだろう。なんす素晴らしい日の始まりなんだろう。

 

マニラ国際空港に到着すると、ポーターが頼んでおいた車イスを用意して待っていてくれた。

彼は「ようこそマニラへ、Lora」と言って出迎えてくれた。

彼は航空整備士として勉強を続けるために働いている。学校はあと2年あるが、両親は彼にお金を送る余裕がない。「僕は卒業しないといけないんだ、Lola。そしたらもっと稼いで家族を助けることができるから。少し貯金もできたし、今のところ上手くやっています。絶対に有能な航空整備士になるんだ。」と彼が言った時、私は彼の幸運を祈った。

19歳程のすらっとした少年の顔は決意で満ち溢れていた。

 

空港を後にしてからしばらくして、彼の声とトーンに込められたパッションを思い出した。

「時々、外を歩くんです。僕は困難を恐れません。僕はこの先も上を目指していきます、Lola」

彼の言葉は私の心を揺さぶった。

 

私達は耳を傾けていないだけで、フィリピンには彼らのような話が何千とあるに違いない。

彼らのような若者たちにこのように言いたい。「若者よ、前に進みなさい。一生懸命働き、強い意思を持ち、そして努力し続けなさい。」

私は、精神的な強さを糧として、生活のためにお金を稼ぐ2人の素晴らしい若者に出会った。

心の中の強さを持ち、そして他の人がその強さに気づいた時に、敬意は払われるのです。

フィリピンは希望溢れる国で、私たち国民は立ち向かう価値があり、私たち家族は愛の恩恵をうける価値がある喜びと素晴らしさを、みなさんにも知ってもらいたい。

 

セブ知事日本訪問成功に終わる

セブの知事であるHilarioDavide Ⅲは、「PPP(public-private partnership:民間パートナーシップ)*プロジェクトにたずさわる投資家達にとって、よい機会をもたらすこととなった」と述べた。

彼の埼玉県訪問は「実り多きもの」となったようだ。

滞在中に、埼玉県知事のウエダキヨシ氏と、PPP研究センターの理事であるタブチサム教授と会った。

ウエダ氏は埼玉県とサン・ホセ大学レコルトスの間で基本定款の協約を結ぶために、Davideを招待した。この協約では、埼玉県よりセブへ教授を派遣し、エンジニア学科の生徒達に教育と実地訓練を提供することが含まれている。

また東洋大学の経営学部で民間パートナーシップについて教えているタブチ教授もセブ政府に協力する旨を伝えたようだ。

セブ政府は、タブチ教授に地方の高速道路や病院のアップグレードなどのプロジェクトリストを渡す予定だ。

また、今後はタブチ教授グループの繋がりにより、東京に友好関係を広げていくことも見込まれている。

アジアPPP研究所は2011年に、民間パートナーシップを通してアジア経済の成長を促すために、東洋大学によって設立された。

地方と国に対して教育とプロジェクトのサポートをすることが、アジアPPP研究所の主な活動である。

 

*小さな政府を志向し、「民間にできることは民間に委ねる」という方針により、民間事業者の資金やノウハウを活用して社会資本を整備し、公共サービスの充実を進めていく手法。

(参照:ウィキペディア)

 

アジア経済にはまだ大きな格差がありますが、このように国同士が協力しあい

アジア全体の経済を発展させていくことが大切なのですね!

 

TOYOTAインドネシア産コンパクトカーをフィリピンに輸出・販売へ

トヨタ自動車株式会社は、インドネシアのダイハツモーターで生産しているコンパクトカーを、今月よりフィリピンに輸出する予定だ。

インドネシアではトヨタ「アギア(AGYA)」、ダイハツ「アイラ(AYLA)」として2013年11月より発売されている。「低価格・低燃費車(Low Cost Green Car)」としてインドネシア政府に始めて認定された車であり、税制上の優遇措置が与えられている。

フィリピンでは、トヨタより左ハンドルの1L車「ウィゴ(Wigo)」が発売される。

また、インドネシアでは特別なロゴを使用していたが、フィリピンではオリジナルのトヨタのロゴが使用される。

トヨタは今月よりフィリピンに輸送をはじめ、今月末には販売を開始する予定だ。
ウィゴ(Wigo)はインドネシアで発売されている価格(8,986ドル)より若干高い値段で発売される。

 

2人のアメリカ兵ボートの修理を手伝う

米兵であるEddie Leazar とその妻Arely と、その友人であるMichael Hermanは休暇でバンタヤン島に訪れた。

Leazarが訪れたのは、バンタヤンホテル協会の理事であるAllan Monrealとはかつてからの友人であったからである。また、彼は現在“Back to Sea”というプロジェクトにも取り組んでいる。

3人はビーチでバケーションを楽しむだけれはなく、魚師の船の修復を手伝った。

この魚師は4つの船を所有していたが、昨年11月の台風ヨランダによって、すべての船にダメージをうけた。

また彼らは“Back to Sea”プロジェクトに募金もした。

このプロジェクトは、船を失くした人やダメージを受けた人達を助けるものである。

Arelyはインタビューでこう答えた「私たちは、魚師から指示を受けてボートを修理しました。次は、自分達でボートを作ることができるんじゃないかって思います。」

Leazarは「フィリピンに訪れて本当によかった。今までの中で1番の休暇になったよ。船の修理をすることで、よりフィリピンという国、なかでもバンタヤンを身近に感じることができた」と述べました。

魚師は後に「彼らには本当に感謝している。2つの船が使えるようになり、今日も漁業ができる」とインタビューに答えた。

ただ、残りの船を直すためには、まだ他にも材料が必要なようだ。

彼らは帰国後、他の人にもバンタヤンでのことを広めていき、復旧に貢献したいと述べた。

 

フィリピン初!冬季オリンピック出場のフィギアスケート選手

冬季オリンピックのソチにて。

Michael Mirtinezは最後に挨拶をして動けなくなった。

演技を終えた彼はリングを後にするのをためらっているようにみえた。

しかし、そんな彼を攻める観客は誰もいなかった。

 

ここは家族連れや子供達で賑わう中、ジャンプやスピンを学んだフィリピンのショッピングモールの中ではない。

ここは、彼が小さいこをから夢に描いていた、オリンピックのスケートリンクである。

最終予選通過に向けて、彼にはショートプログラムの3分間弱が与えられた。

もしも上手くいかなければ、両親の家業を継ぐために日本に野菜を売ることを

考えなければいけなかった。

 

スケートに伴う費用は莫大であった。ショッピングモールもいくらかサポートをしてくれたが、

台風ヨランダがフィリピンに被害を残してからは、政府もフィギアスケートに充分な援助をすることができなかった。

家族はすでに家までも抵当に入れ、これ以上なにも支払える余地は何もなかった。

彼の母親は「息子がやり遂げてくれること、そして企業がサポートしてくれることを願っています。そうでなけでば、彼はスケートを辞めざるを得ないのです。これ以上、私たち家族がしてあげられることはなく、あと4年待つこともできないのです。」

 

スパンコールの散りばめられた黒と白の衣装は、彼のFacebookをみたニューヨークのデザイナーより寄付されたものである。

リングの中央に滑っていく間に、たくさんの拍手に歓迎された。

ポーズをとり静止をした。スケート人生のなかで一番大きなイベントの始まりだ。

 

彼は今期、17歳と最少年の選手であり、そしてフィリピン人として始めてのフィギアスケート選手であった。

彼は小さい頃から喘息を患い、病院に何度も通い、外で遊ぶこともできなかった。

しかし、9歳の頃に、マニアのモールで始めてスケートを見た時から、スケートは彼の人生となった。始めての練習では背中を強打したが、それでも彼は辞めなかったのだ。

2分39秒の演技を終え、彼は持っているものをすべて出し切った。そして、後は結果を待つのみであった。

「今、とても幸せで誇りにおもっています。ジャンプを1つ失敗しましたが、後の演技はよくできた」

スコアは64.81。彼の最高得点であった。

 

南国のフィリピンで始めたスケート。

他の選手よりもハンデキャップはあったかもしれませんが、リンクに立てばそんなのは関係ありません。

何よりもオリンピックに出たいという彼の強い気持ちと家族、友達、関係する人々、国の支援があったからこそ

今回のオリンピック出場という夢のチケットを掴むことができたのですね。

4年後の冬季オリンピックでもぜひ彼の姿を見てみたいです!

 

 

 

 

セブ代表 マニラの日本語スピーチコンテストに出場

セブ日本人会は2月1日にSMの会議室で、日本語スピーチコンテストを開催しました。

このコンテストは、現在日本語を学んでいる人達のモチベーションを高め、日本語が流暢に話せるよう

さらなる目標を達成してもらうことを目的として行われました。

また、ビサヤ地域での日本語学習の普及と、フィリピンと日本のより深い理解を得ることも期待されています。

コンテストは、国際交流基金(外務省所管の独立行政法人)協力のもと行われ、フィリピン日本人商工会議所と領事館がスポンサーとなっています。

観客は、コンテストの合間に日本民芸の歌と踊りでもてなされました。

今年は12人がコンテストに参加し、それぞれトピックや自分の経験に基づき、

熱意のこもったスピーチを披露しました。

全員のスピーチ終了後、3つの部門において優勝者が選ばれ、学生部門では、“信じるもの”というタイトルのスピーチを披露したセブ大学のGlykieGaneteさん、非学生部門ではグローバルIT会社で働くJan Michael Pajaroさん“スマートフォンの使い方”、フリー部門ではDASH Engineering Phils. Inc.(三井造船株式会社子会社)で働くMicho Diezさん“岡山のバスの運転手”が優勝を手にしました。

各部門優勝者の3人は、2月22日、マニラで行われる第41回日本語スピーチコンテストに出場する予定です。

今後もフィリピンと日本において親交が深められるといいですね。

 

 

 

 

 

映画トリビアナイト

映画は好きですか?

家族や友達とお気に入りの映画を見たりしませんか?

映画の知識があるなら、優勝することができるかも!?

 

Waterfront HotelにあるPort Restaurantでは、毎週月曜日の夜10時から”Monday Movie Trivia Night”が開催されています。

このトリビアナイトでは、いろんなジャンルの映画から3段階の難易度ごとにクイズが出されます。

参加条件は一切ありません。必要なのは、あなたと家族や友達です。

1チームは最大で5人まで参加することができます。

見事優勝したチームは食べ放題の食事と飲み物がタダになります!

 

Port RestaurantのLate Nightブッフェは月曜日から土曜の夜10時から深夜2時まで営業しています。値段は1人あたり169ペソ(+税金、サービス料)。

 

火曜日と木曜日のLate Nightブッフェではアコースティックバンドの生演奏が楽しめます。